想像してみて下さい。
「ディズニーランドに行きたい」と、彼女に言われた。
忙しい合間をぬって、ようやく休みを1日だけ確保。
その1日をフル活用するには、車でディズニーランドに向かうしかない。
夜の24時に家を出発し、朝の6時に到着する予定だ。
彼女を助手席に乗せ、6時間の道のりを徹夜で運転。
何とか予定通り、朝一でディズニーランドに到着。
しかし、丸一日寝てないので、体力はすでに空っぽ……
「開園まで少し休ませて」と、言って軽く目を閉じたが、次の瞬間には時計の短針は「1」を指している始末……
恋人はかなりご機嫌ナナメ……
急いで園内に入るも、翌日の仕事のことを考えると18時には夢の国を出ないといけない。
あの手この手で彼女のご機嫌修復を試みるも、気まずい空気のまま。
どうしようもない……
彼女を喜ばせたいと思って必死に頑張ったにも関わらず、全てが台無し。
結局、気まずい空気を唯一の土産として、家路へと帰っていくことに。
これは単なる笑い話ではありません。
“ツメの甘い彼氏とワガママな彼女” という話でも、“悪いのはどっち?” という話でもありません。
相手のニーズを読み違えたがゆえに生じた、身近によく起きる損する出来事の一つです。
「なぜ彼女は彼氏を途中で起こさなかったの?」
「全部彼氏に任せっきりなのに不機嫌になるなんて、この彼女は自分勝手だ!」
「彼氏よ、そこで寝たらいかんぜよ……」
そう思った人もいるかもしれません。
しかし、それらはこの話の本質ではありません。
ある目的のために努力するものの、その努力が全く報われない。
裏目に出てしまう。
そんな不合理な経験を、誰もが一度は味わったことがあると思います。
この彼氏はすごく頑張った。
けれども、その努力が報われなかった。
それは、彼氏が彼女の本当の気持ちを理解していなかったからです。
彼女の望みは、ただ単純にディズニーランドに行きたかったのではありません。
彼女は彼氏と楽しい時間を共有したかった。
それが真の望みでした。
だから、彼氏がどんなに体を張ってディズニーランドに連れて行ってくれたとしても、彼氏と一緒に楽しさを共有できなければ彼女には意味はなかった。
それなのに、彼氏はディズニーランドに行くことを最優先で考え、無理なプランを組んだ。
楽しさを共有するという一番大切な目的を忘れて……
彼女も彼氏の頑張りは分かっていた。
分かっていたからこそ、寝ている彼氏を起こせなかった。
そして、行き場の失ったモヤモヤに苦しむ羽目になった。
このプランは、彼氏は楽しさを共有できず、彼女はモヤモヤとした感情に苦しむことになる、と最初から結末が決まっていたのです。
なるべくしてなったストーリーです。
努力の方向性を間違えると、どれだけ頑張っても報われません。
それを「努力は報われる」の一点張りで主張しても意味はありません。
相手のニーズを考えずに突っ走れば、余程の運を使わない限り、間違った方向へと進んでしまいます。
つまり、“行動レベル” ではなく、“目的レベル” で考えることが重要なのです。
それは次のようなピラミッドを想像すれば分かりやすいでしょう。
ピラミッドの頂点が目的であり、土台部が行動です。
土台部に位置する行動欲求を、頂点の目的を見据えながら現実的なプランに育てる。
それが目的を意識して行動するということです。
損する人は、相手のニーズを考えずに突っ走ります。
損しない人は、相手の行動要求の “目的” を考えます。
彼女が「ディズニーランドに行きたい」と言ったから連れて行った。
それでは行動レベルで思考がストップしたままです。
努力の方向がズレ、その結果、無駄な努力を重ねます。
計画を実行する前に “なぜ、彼女は「ディズニーランドに行きたい」と言ったのか” を考える余裕があれば、上記のプランが無謀だと気付けたはずです。
そうすれば、
「ずっと待たせてごめんね。ようやく一日だけ休みが取れたんだけど、その日にディズニーランドに行くとなると、途中で体力が尽きるかもしれないんだよね。俺もディズニーランドを一緒に楽しみたいから、ディズニーランドはまた今度連休が取れたときでも良いかな?そのかわり、今回の休みは前から観たいって言ってたあの “ガラスの靴が階段の途中で脱げちゃう” 映画でも一緒に観に行かない?」
と、彼女のことを思った別プランが提案できたはずです。
相手の行動欲求をそのまま受け入れることが優しさではありません。
行動欲求に隠された “本音” まで読み取ってこそ、真の進むべき道が見えてくるのです。
損する人は、「彼女をディズニーランドに連れて行く」と言う。
損しない人は、「彼女と一緒にディズニーランドを楽しんでくる」と言う。
たったそれだけの違いですが、思考レベルには大きな差があります。
これはデートプランの立案に限った話ではありません。
友達と旅行先を決めるときにも、誰かの誕生日パーティを企画するときにも、仕事の企画書を作るときにも、同じことが言えます。
「行きたい」と言われたからやった。
「したい」と言われたからやった。
「やれ」と言われたからやった。
それでは、自分も相手も損します。
相手の気持ちを考えずに、その場を繕っているだけです。
誰かのために何かを頑張るのであれば、上記のピラミッドを思い出し、目的レベルを探ることに力を注ぎましょう。
そうすれば、散りゆく運命だった努力が鮮やかな開花を遂げ、双方の顔に満面の笑みを咲かせることでしょう。